眠れない鳥

眠れなくて始めたブログ。

鳥のうつ病闘病記 ~その④・完~

 この闘病記について▼

闘病記 小説風に始めました - 眠れない鳥

前回までのお話▼

第一話 第二話 第三話

 

 12月も半ばに入った頃、鳥は本格的に休職することになった。

 

 そこに至るまでの一ヶ月は過酷なものだった。

 なんとか仕事へ戻ろうと、周囲の協力を得ながら試行錯誤した日々。

 

 最初に休み始めてしまってから、結局ずっと体の言うことが聞かず、仕事には行けなかった。

 車で迎えに来てもらうなどしてなんとか学校に行くこともし、数日授業もしてみたがすぐに息切れをして、子ども達の前に立つことはできなくなった。

 子ども達が心配してくれていたことは直接の言葉や雰囲気からも伝わっていた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも、どうしようもできなかった。

 病院ではうつ病の診断がなされ、ひとまず一ヶ月の休職の指示。様子を見るためのような期間だ。

 それから保健室登校になった。家に一人でいるよりも人のいる環境や給食が食べられる学校で寝ていた方が安全だろうという職場からの配慮だった。実際に多くの同僚の先生が何気ない話をしに来てくれたし、鳥は職場の人達と親しかったので心が安らいだ。

 自力で学校に行ける期間もあったが、段々と一人で家にいることが怖くなり、同じ学年の先生の家に一週間泊めてもらうことにもなった。年頃の娘もいる家庭にもかかわらず快く泊めてもらえた。

 振り返ってみると、この頃の精神状態はかなり悪かったので泊めてもらえる期間がなかったら本当に死んでしまっていたかもしれない。

 その後は大阪から母親が東京の鳥の家まで泊まりに来てくれた。父とは離婚し絶縁状態なので、そもそも母しか来れない状況だった。

 一ヶ月の休職指示でひとまず回復を試みたこの一ヶ月も終わりを迎え、12月も半ばに入り、年度末までの三ヶ月間の休職が言い渡された。

 年度末まで休める。

 それは鳥にとってホッとした瞬間でもあったし、悲しくなる瞬間でもあった。

 

 大好きな、とても大好きな仕事だった。天職だと思っていた。実際続けてさえいれば、天職だったと思う。

 

 年度末まで休んでからも、改善は見られず一年スパンでの休職になり、鳥は2015年9月末に退職をした。

 2012年11月にうつ病と診察されてから、約3年間の休職期間だった。

 

 3年間、何も変化がなかったわけではない。

 職場復帰訓練に挑戦し、あと一歩で復職というような状態の時もあった。

 結果として、働ける状態には戻れず退職となったのだが。

 

 その後、社会復帰を目指しアルバイトなどにもいくつか挑戦したが、上手くいかなかった。この間に借金をすることにもなる。

 

 最後に働いたのは2016年9月。そこからは現在に至るまで、働けておらず体調は悪い方だといっていい。

 

 病院は何度か変えた。

 いずれも明確な理由があってのことだが、現在の病院はかなり信頼できると感じている。

 

 約5年も同じ病気と付き合っていると、本当に良くなる時が来るのかなと疑うことも多々ある。

 でも必ず治るものだって、みんな口を揃えて言う。それはただの励ましとかではなく、確かなものに裏打ちされた言葉であることを聞いていて感じる。

 だから、信じれない時があっても信じてみようと思う。

 

 この5年で学んだことや得られたものはたくさんあるのだが、それはまた読みやすくまとめた形で書くつもりだ。

 

 今は食事がまともに採れてないので、まずはそこを改善すべきだろう。

 幸い今も周りに食事をくれる人がいる。助けてくれる人がいる。いつかお世話になった人たちに恩返しするためにも、僕は元気になるんだ。