鳥のうつ病闘病記 ~その④・完~
この闘病記について▼
前回までのお話▼
12月も半ばに入った頃、鳥は本格的に休職することになった。
そこに至るまでの一ヶ月は過酷なものだった。
なんとか仕事へ戻ろうと、
最初に休み始めてしまってから、
車で迎えに来てもらうなどしてなんとか学校に行くこともし、
子ども達が心配してくれていたことは直接の言葉や雰囲気からも伝
病院ではうつ病の診断がなされ、ひとまず一ヶ月の休職の指示。
それから保健室登校になった。
自力で学校に行ける期間もあったが、
振り返ってみると、この頃の精神状態はかなり悪かったので泊めてもらえる期間がなかったら本当に死んでしまっていたかもし
その後は大阪から母親が東京の鳥の家まで泊まりに来てくれた。
一ヶ月の休職指示でひとまず回復を試みたこの一ヶ月も終わりを迎
年度末まで休める。
それは鳥にとってホッとした瞬間でもあったし、
大好きな、とても大好きな仕事だった。天職だと思っていた。
年度末まで休んでからも、
2012年11月にうつ病と診察されてから、約3年間の休職期間
3年間、何も変化がなかったわけではない。
職場復帰訓練に挑戦し、
結果として、働ける状態には戻れず退職となったのだが。
その後、
最後に働いたのは2016年9月。そこからは現在に至るまで、
病院は何度か変えた。
いずれも明確な理由があってのことだが、
約5年も同じ病気と付き合っていると、
でも必ず治るものだって、みんな口を揃えて言う。
だから、信じれない時があっても信じてみようと思う。
この5年で学んだことや得られたものはたくさんあるのだが、
今は食事がまともに採れてないので、
幸い今も周りに食事をくれる人がいる。助けてくれる人がいる。いつかお世話になった人たちに恩返しするためにも、僕は元気になるんだ。